躍動する脳みそ

千川新のブログ

何をやっても疲れる

僕が20秒足らずのカットアップソング(僕らは自分らの曲をそう呼んでいた。パンクのレコードからサンプリングしたギターリフを適当にソフトで切り貼りして作ったようなジャンク・ロック)ばかりやる、粗末なバンドをやっていたときに、彼女は客として現れた。
友人の友人の友人だかの絵描き。地下の芸術家の界隈では一目置かれた存在だった。グリッチエフェクトを人力で加速させたようなめちゃくちゃな油絵を描いた。

僕らは意気投合した。随分彼女もアート・シーンと、それ以上に自分の製作行為にうんざりしていた。その頃もう僕はギターを弾くのを辞めたかった。粗暴でNO NEW YORKの連中よりヘタクソなギターに自分を担保されていると思うのは苦しかった。周囲の真面目なミュージシャンは、僕のプレイスタイルにある程度興味を惹かれたようだけど、面白がられる以上の意味を持たなかった。そもそも彼らからの尊敬など別にいらなかった。

彼女はハイコンテクストに作品を評価されていた割には、作品の評価の高さと個人として上手く生きれないことのギャップに悩むような素朴な人間だった。画家として名が売れていた彼女は、それ故随分自分が消費されているという感覚を強く持っていたし、実際のところ消費されていたのだろう。彼女の半ばヤケにも見える衝動的な作品は僕にとって過分に魅力的だったが、彼女自身は普通に生きられないが故の、承認を得る代替手段にしか捉えてなかった。

そういった僕ら個人の文脈が交点を持ち、僕は彼女と交際を始め、ギターを辞めた。彼女も絵を描くのを辞めた。僕らは何もかもに疲れた疲れた疲れたと言いまくった。アート・シーンのワナビー達の悪口を言って毎日が過ぎた。それは僕らにとって、爛れた生活でも、甘ったるい日々もなく、セラピーみたいなものだった。もう僕らは疲れ切っていた。生活と労働以上のことはできなかったし、そこから芸術家としてなにか生み出すことを尊いと思うのを一刻も早く辞めたかった。しかしそれ以上堕落することは避けた。生活と労働に自分を担保させる普通さに身を委ねたかった。

相変わらず僕も彼女も疲れている。疲れた。

 

グライダー先生

お別れ会で、生徒の前でTheピーズの「グライダー」を弾き語りしようと思いついたのは、相変わらず一人で飲んでいる時だった。私は破滅的な飲み方はしない。スーパーで買ってきたワンカップを少しずつ飲み、酔いが適度に回ってきたところで、「くにゃくにゃくにゃ、はははは◎%△だ¥」と、独り言ちていた。ただの呟きだから隣人には聞こえない。弛緩した脳が普段考えもしないことをサジェストしてくれたのか、「グライダー、グライダーやろう。」と呟いた。
 
これまでも、何度か三年生のクラスを受け持ち、卒業まで送りだしたことはあったが、パフォーマンスの類はやったことがなかった。希望に満ちたメッセージ的なことを言って、「それではみなさん元気でね」という一連の流れを、担任の仕事としてこなした。もちろん、一年自分が受け持ったクラスなのだから、それなりに情は湧くが、これから暗澹たる未来に向かっていくしかない生徒達に、思ってもないポジティブな言葉をかけるのは、不誠実だなと思っていた。
 
田舎の公立中学の卒業生は、おおむね地元で就職し所帯を持つというモデルに巻き取られていく。自立し家庭を持つことは立派である。そういう人間を育てることが我々の仕事でもある。ただ、中学を卒業する時期の彼らにようやく見えてくる、個人としての輝きが、寂れた地方都市の所帯じみた幸せに着地するのが、どうにも寂しかった。偏屈教師のエゴ極まりないが。さらに言えば、その陳腐な幸福からもこぼれてしまう生徒も勿論たくさんいて、そのことはもっと悲惨だった。規範的な幸せを獲得できないことは全く問題じゃない、規範的な幸せが全てだと思ってしまうこと、もっと言えば、全てが幸せか不幸せのどちらかに帰着すると思い込んでしまうことが問題だった。公教育の範囲では、「社会の規範を気にせずに生きていくことはできる」と伝えることは難しい。というか、そんなことは学校の役割ではない。どこかで子どもが一人で気付くしかない。悲しいかなその点我々は無力だ。
 
Theピーズの「グライダー」は、下降していく人生を、滑走しかできないグライダーになぞらえて、淡々と歌われる曲だ。開き直りではない、むしろ、下降しながらでも生きていく、というダウナーなりの意思を感じる。現に彼らは音楽に昇華したのだから。
 
「10年前も10年先も もうずっとグライダー」
 
人生というのはつまらなくなる一方だというのが基本的な私の認識である。勿論教育の場でこの論を話すことはない。どこかで学生生活や仕事や人間関係で狂ったり病んだりすると、精神的な回復や社会復帰は可能だとしても、壊れる前の状態には戻れない。じゃあ若いうちに自殺してしまうのがコスパがいい、なんて考えるのは虚無でしかないから、不可逆な時間をグライダーで飛び続けるしかない。飛び続ければなにかあるかもしれない。なにもないかもしれない。
 
全体での卒業式の後、各クラスで開かれるお別れ会では、担任がピアノやギターの弾き語りをすることがあったが、取り上げる曲は基本的に「卒業ソング」として世間に広く認知されているものだった。でも、「グライダー」をやることに問題はないだろうと考えた。歌詞は後ろ向きだけど、表現は婉曲的だから、15才の子どもたちが初めて聞いただけでは、「なんかいい曲」くらいの認識で収まるだろう。大体私の演奏力でそんな感想をもってくれるかも怪しかったのだが。
 
「グライダー」を披露すると決めてから、ネットでアコースティックギターを購入し、必死に練習した。CDの収録時間は4分38秒と、決して短い曲ではないが、曲の構成はシンプルで、AメロとBメロのコード進行だけを覚えればよかった。ただ、アコースティックギターの弦というものは硬く、卒業式を間近にした真冬では、異様に冷たかった。学期末の忙しい時期にヘトヘトになって帰宅して、寝る前までのわずかな時間でもギターに触れることにした。どう頑張っても、一か月や二か月では、音楽的に完成された演奏が出来るとは思ってなかったが、やると決めた以上、中途半端な状態で生徒の前に出るわけにはいかなかった。生徒は今人生で初めての入学試験に向けて頑張っている。私が余興のような気分で出ていったら、彼らは軽蔑するだろう。「準備が肝心です。」私がテスト前の生徒にいつも言っていることだ。
 
お別れ会当日。卒業式も終わりすでに涙目の生徒もいた。ここからは、担任と生徒達の、最後の対話になる。堅物の教師と思われている私が、ケースからアコースティックギターを取り出したことに、ミーハー的に驚く生徒もいれば、私が演奏する情報をどこからか得ていたのか、さして動じてない素振りを見せている生徒もいた。でも、彼らが一様に「なにかをしてくれるんじゃないか」と期待していることは伝わってきた。15才の子どもたちというのは、我々の思っている以上に色々な事を見抜いているし、同時にすごく素直なのだ。学校生活が嫌でたまらかったであろう生徒もいる。そこでとってつけたようなクラス一同感動の大団円なんて、見たくもないだろう。とりあえず、私はみんなが自分が今から投げかけようとしてる言葉を、受け取る姿勢を見せてくれたことに、心の中で感謝した。
 
「3年1組のみなさん、まずは卒業おめでとうございます。みなさんは義務教育を立派に終えました。これは凄いことです。」
 
「ただ、ここから先、良いことばかりあるとは限らないです。でも、それはみなさんもよく分かっているんではないんでしょうか。15年も生きていればみなさんそれぞれに色々なことがありましたよね。これからも予測できないことが起きるでしょう。でも、これは高校の勉強が難しいとか、社会が厳しいこととは、また別の話です。生きていくなかで、上手くいくこともあれば、そうでないこともある。それだけのことです。」
 
「そのとき大事なのは…、と先生は言いたいところですが、上手くいかないときの解決法は人によって違うんです。だから探し続けてください。よき友はどこかにいるはずです。それが他人じゃなくてもいいんです。勉強や音楽やスポーツや絵を描くことでも。」
 
「最後に私の好きな曲を歌います。Theピーズというバンドの『グライダー』という曲です。」
 
生徒は真剣に私を見つめて、話を聞いている。正直泣きそうだった。私は彼らを見くびっていた。物分かりのよい可愛げのある生徒ばかり気にかけ、不良は田舎に閉じ込められた哀れなクソガキだと思っていたし、教室の隅で腐っている内気な子どもたちには勝手に同情していたが(私もまさしくそのタイプの学生だった)、それは彼らをバカにしていることと同義だった。中学生活の荒波にもまれて苦悩した彼らに、お別れ会の一回のパフォーマンスで教師面するのは卑怯なのかもしれない。でも私は最後の最後で逡巡してはいけない。どこかに行けるのにグライダーを降りちゃダメだ。それを歌いにきた。
 
イントロを4小節弾いて、歌に入る。
 
「ハタから見りゃそらのんびり でもとっくにギリギリなんだ」
 
「低いままいつまでも 降りる場所探したよ 探すうちに遠いよ」
 
「遠くで見てた筈だよ 懐かしいだけで泣いたよ 何もしてやれなかったよ」
 
「10年前も10年先も 同じ真っ青な空を行くよ」
 
途中何度もコードを間違えて、歌詞が飛びそうになったが、なんとか完奏した。やはり思ったとおりにはできない、世のミュージシャンは凄いんだなあ、と腑抜けた感想が浮かんだ。それと同時に、割れんばかりの拍手。「先生すごい!」「ミュージシャンじゃん!」地味な社会科教師が慣れないアコギに四苦八苦しながら歌う様が、新鮮だったんだろうか。もっと、知らない曲を歌われてポカーン、みたいな反応を予測していた。が、なにせ中学卒業の日なのだ。感傷のスイッチがどこで入ってもおかしくない。でも、なにかしら感じ取ってくれたのは、生徒たちの顔から伝わってきた。
 
それから、まだお別れ会の時間があったから、「もう先生はヘトヘトだよ。」と本心を漏らすと、元気よく「慣れないことするからだよー」と男子からヤジがとんだ。もう、生徒に教えるようなことはなかったので、ギターを床に置き、椅子を輪の形にして、雑談タイムにした。内気なグループの生徒が、他の生徒に、「こいつ、実はギター弾けるんですよ」とはやし立てられ、ギターを渡したら、見事な「禁じられた遊び」のソロギターを弾いてくれた。となりの教室では、担任のピアノ伴奏で、秋の合唱祭で優勝した曲を合唱していた。
 
お別れ会のことは、生徒にとって、思い出深い出来事になったことは、確実に言えるのだけど。生徒の大半は私がTheピーズの「グライダー」という曲を歌ったことはおぼえていないだろう。さらに言えば、この曲の言わんとしていることも、わかっている生徒はほぼいないだろう。でも、いつか、歌詞の断片でも彼らの頭のどこかにあれば、検索欄にそれを打ち込んで、もしくはクラスメイトに「あのとき先生が、いきなり歌った曲ってなに?」とメッセージを送ったりしたら、そのときまた曲に出会うかもしれない。本当は最初から、Theピーズの素晴らしい音源に触れた方が良いのかもしれない。でも、あの場所では僕が歌うしかなかったのだろう。

2021年

今日は2021年7月16日、東京2020オリンピックまであと一週間らしい。
私がいつも喚いていることやテーマにしていることといえば、矮小で個人的な問題ばかりだが、ここ最近の社会の混沌の極まり具合は、それに対してもの申そうとしない、問題を是正すべきとも言わない、気力に乏しい私でも、ぼんやり「大変なことになってきたね」なんて言ってしまう。
社会問題より私の超個人的な問題の方が遥かに重大だよ、そりゃ人間自分のことしか分からないんだから、と思ってきたが、マスクを毎日つけなければ外出できなかったり、飲食店が20時で閉まる光景を見ていると、ぼんやりとしてた社会なるものがとうとう自分のとこにもやってきたなと、素朴な感想を抱いてしまう。随分ボケっとした生き方のような気もするが。訳の分からない世の中では、自分のしてることの訳が分かっていなくても、生きてはいけてしまう。私は幸運か白痴か、今まで生きていけてしまった。
コロナ禍で、「こんな生活になるなって思ってもなかった」なんて聞こえてくるけど、こんな変化を予想していないことは当たり前で、むしろ、世の中の先行きが読めないこと自体が自明なんじゃないかという思いを強くしている。じゃあどうすればいいかというと、腹を決めて社会に投げかけていくか、流れと全く関係ない個人的な作業に集中するしかないと思うが、私はこの文章を打ち込んでいる時点ではどちらに対しても情熱が乏しい。結局個人的な話に帰着してしまったが、とうとうカオス極まってきた世界に、自分でもなにか言いたくなったのです。

世界の果てのぶっ壊れるような邂逅ver.0

彼女に出会ったのは、会社の近くのコンビニに昼食用のパンを買いにいったときのことだ。

白く整った顔立ちをした彼女は、パリッとした白いブラウスに、プリーツの効いた紺のスカート、黒い革靴を合わせていた。彼女を美少女と呼ぶには、自分の美しさを重く背負いすぎているように感じた。その細い身体から、鮮明な服装と対照的な、濃い陰影を落としていた。あの白々しい蛍光灯がつけっぱなしの、コンビニの中でである。

それは世界の果てのぶっ壊れるような邂逅だった。

それから、飛躍するが、僕らはデートを重ねることになった。そこに至る手続きは退屈だから割愛する。あのコンビニの中で、僕が彼女に声をかけただけだ。

ああ、デート、デート、デート。

僕は自意識過剰で、デートという俗な響きに耐えられなかった。デートがわからなかった。いや、デートをわかりたくなかった。ただ、彼女のことは好きだった。掛け値なしに。だからデートをせざるを得なかった。

ああ、デート、デート、デート。

いつだったか、2人でデートをして、代々木公園で終電を逃したときの話だ。僕らはぐるぐると、公園の周りを歩き始めた。その間一言も交わさずに。やがてどちらかが疲れ果て、ちりぢりになるまで、歩き続けた。そんな不器用なデートしか僕らにはできなかった。

そんな日々を過ごしているうちに、彼女から家族の都合で海外に移住することを聞かされた。その頃僕らは、デートの仕方があまりに下手で、消耗しきっていた。そうした背景もあり、これが節目と、別れることに決めたのだ。

そこからが大変だった。彼女の美しさにぶっ壊された僕は、唐突な別れから日常生活が困難になるほど弱ってしまった。あの下手くそで不器用なデートは、コンビニでぶっ壊れた僕の対症療法だったのだと今更気がついた。精神科の医者に診断書をでっちあげてもらい、会社を三カ月ほど休職して、どうにか社会復帰することはできた。

今も僕はコンビニで彼女にぶっ壊されたまんまだ。あのコンビニは世界の果てで、それはぶっ壊れるような邂逅だった。

田舎

田んぼに刺さっている
安物のビニール傘
凝縮された泥を吸って
ぐちゃぐちゃを野に吐き出している
 
ヘルメットを被った中学生が
どうしようもなくそこに突っ立っている
この世は擦り潰された鉄片で
人間は酸化した粉だった
 
15年の田舎暮らしの彼岸に
水のない海を夢みている
飛び出したとたんにはねられた赤子
濡れた千円札を自販機に入れる
 
日の入りのバスが通り過ぎ
とうとう帰れなくなるこどもたち
細い腕で全てを殴り続ける
どこにもいけないおとなたち

インマイライフ

「ビートルズのインマイライフのピアノソロ弾いてよ。」
「あれ、テープを早回ししているの知ってるでしょ。」

彼女の言う通り、確かにビートルズのアルバム、ラバー・ソウルの日本盤のライナーノーツにそう書いてあった。あれはプロデューサーのジョージ・マーティンが弾いて録音したテープの回転速度を上げたものだと。僕は昨日父親の書斎にあったそのCDを聴いたばかりだった。少年の思いは飛躍しやすい。

「じゃあ、一週間、時間をちょうだい。頑張ってコピーするから。来週の日曜日。」

僕と彼女は高校の軽音部で出会った。軽音部では、僕は自分で買った安物のサンバーストのレスポールを弾いて、彼女はいつも部室の備品のエレピを弾いていた。僕らは曲なんか作らず、だらだらと普通の日本の10代が聴くような音楽のコピーバンドをやっていた。実はその頃から彼女は一人で、昔のパンクやジャズを聴いていたそうだ。それは僕が大学を出たあと、一回だけ東京の道端で彼女とバッタリ会って、その近くで少しだけ飲んだときに聞かされた。

僕らは放課後、よく彼女の部屋で遊んだ。高校から歩いていける距離の一戸建て。いつも玄関に入って「お邪魔します」とボソッと言ってから、廊下を進み、リビングで作業している彼女の母親にもう一度「お邪魔します」と軽く会釈してから、2階にある彼女の部屋に上がった。そのリビングにはYAMAHAのアップライトピアノがずっと置いてあった。初めて彼女の家に来たとき、こんな会話を交わした。

「あのピアノは弾かないの?」
「あれね、小4まで習ってたんだけど、塾が忙しくなってレッスンに行かなくなっちゃって。で、中学生になったら、指はまだ動いたし、習った曲も覚えていたんだけど、あの大きい黒い木の箱を目の前にするのが気が重くなっちゃって。音も生楽器だから大きいし。なんで私はこんな大きなものを無邪気に弾けてたんだろう?って。」
彼女にはどうしても行きたいと思っていた私立の女子校があって、小学生のとき中学受験のため塾に通っていた。その兼ね合いで幼い頃から通っていたピアノ教室をやめた。結局、その女子校はすんでのところで受からず、他に滑り止めも受けなかったため、僕と同じ区の違う公立中学に入学した。行きたい学校に受からなかったのは残念なことだったが、別に受験勉強に苦しい思い出もなく、小学校では友達の多いタイプだったので、その友達と同じ中学に通うことに特に抵抗はなかった。それより、中学生活が落ち着いて、久しぶりにピアノの目の前に立ったとき、生まれて初めて、自分の中の明確な意識の変化を自覚して、少し落ち込んでしまったという。それでも、中一の終わり頃には、TSUTAYAで 2000年あたりの日本のバンドのCDを借りたりしてまた音楽に興味を持ち、自分のお年玉貯金からYAMAHAの61鍵のエレピを買って、部屋で一人で弾いていたらしい。

そして、僕らは2階に上がると彼女の部屋でいつも、凡庸な10代らしくだらだらとすごした。僕はギターを、彼女はエレピを、それぞれイヤホンをつけながら練習したり、クラスメイトたちの話をしながら古文の課題をやったり、TSUTAYAで借りてきた古い映画を見たり、台所から彼女の父親のワインをくすねて少しだけ飲んだり、たまに自分たちの自意識や関係性や将来への不安を高校生なりに真面目に語りあったりした。そうやって僕と彼女はいつも部屋の中で親しさを交換していた。

僕は彼女が部屋でエレピを弾く姿を見るのが好きだった。彼女は部屋に入ると制服のブレザーを脱いでちゃんとハンガーにかけたあと、学校指定のブラウスとスカート姿であぐらをかいて、カーペットの敷かれた床に置かれたYAMAHAを弾いていた。イヤホンを頭にはめてエレピにプラグを挿して、練習曲の音階を探っていく。曲を一通り弾けるようになると、今度は僕にイヤホンをはめて演奏を聴かせてくれた。

彼女は少し癖のある髪を肩くらいまで伸ばしていて、よく鍵盤の上に、抜けた彼女の長い髪が落ちていた。
「私、よく髪の毛が抜けるの。ちょっと前まではコンプレックスだったけど。でも、髪切りに行くと毛量多いね、って言われるから、多少抜けても別にいいかな、って最近は思うようにしてる。」
そのとき、健気な人だな、と思った。

インマイライフのピアノソロを彼女にお願いして、弾いてくれた日。僕は手持ちの服からなるべく品のいいものを選んで、彼女の家に向かった。
彼女は深い紺色のリネンの袖のないワンピースに、白い真新しいソックスを身に付けて、髪の毛は一つ結びにしていた。その光景をよく覚えている。彼女が髪を一つ結びにしているのを見るのはそれが初めてだった。

「ピアノの発表会みたいでしょ。」
言うか迷っていたことを先に言われた。
「厳しかったのよ。ピアノの先生。女の人なんだけど。見だしなみとかもね。ピアノに髪が落ちるといけないから、レッスンのときもいつも結んでた。」
「さっき、ふと思い出したのよ。でも、なんか気合い入るね。これ。」
「話それた。じゃあ、やっていい?」
無言で頷く。

彼女は静かに息を吸い、エレピに指を置く。いつもはイヤホンだが、今日は内蔵スピーカーから音を出している。家に近づいたときかすかに、2階から彼女が響きを確かめている音が聞こえた。首で小さく4カウントをとり、インマイライフのピアノソロを弾き出す。

たった20秒ほどの演奏。そういえば演奏をお願いしてから毎日、何十回もラバーソウルのインマイライフだけを繰り返し聴いていた。ピアノソロだけを巻き戻して繰り返し聴くこともあった。そんなことはせずに、全く聴かずに今日をむかえた方が良かったのか。そんなことを考えてる一方で、彼女は正確な運指で一つ一つのノートをはっきりと立ち上げる。何回も聴いたあの旋律を組み立てていく。春と夏の間の日曜日の静かな住宅街の一室。

演奏が終わる。
「完璧だった……」
僕はそう呟く。それは僕の想定を遥かに超えている、必然性のある響きだったから。
「一週間にしては上出来かな。でも一箇所だけミスタッチがあったわ。」
そのとき、そうか、と軽く頷いた。

今もたまに、一人でいるとき、ビートルズのインマイライフを聴く。彼女の言うミスタッチはどの箇所だったんだろう?でも彼女の演奏は録音していない。それでよかった。それがよかった。あれは紛れもなく、あのときの僕だけが聴くべき、完璧な演奏だったから。